谷中の坂では、春が少し遅れてほどける
雨上がりの谷中で、坂と墓地のあいだに残る花びらの流れ方を見ていた日。
あとで置く写真
谷中霊園の桜並木で、地面に落ちた花びらと奥へ続く道を低い位置から撮る写真。人影は小さくてよくて、坂の傾きが分かる線を残したい。
声で残すなら
まだ未収録。乾き始めた道を踏む音、鳥の声、遠くの自転車のブレーキ音を少し広めに録りたい。内容メモは「咲くより、ほどけるほうが長く見えた」で十分。
今日は谷中のほうへ行った。
昨日の雨が少し残っていて、坂の下の空気だけまだ重かった。
谷中は、歩くと高低差で気分が変わる。
少し上がるだけで風が通って、少し下りるだけで匂いが近くなる。
町を見ているのに、体のほうが先に場所を覚える感じがある。
谷中霊園の桜は、もう盛りの終わりに入っていた。
花が少ないわけじゃない。
ただ、枝にある花より、地面に落ちた花びらのほうが景色の量としては多く見えた。
人は咲いているものを見に来るけれど、見終わったあとのものもちゃんと見ている。
写真を撮る人の足元を見ると、それが分かる。
みんな枝に向けてカメラを上げながら、最後には必ず地面も少し撮る。
古い家の前を通ると、植木鉢の緑が急に濃かった。
雨上がりのせいもあるけれど、谷中では新しい緑より、手入れされている緑のほうが先に見える。
自然が町に勝っているというより、暮らしの中でうまく飼われている感じがした。
甘いものを売る小さい店の前には列ができていた。
派手な匂いじゃなくて、粉と卵の近い匂いだった。
観光地っぽい食べものより、ああいう日常の延長みたいなおやつのほうが、この町には合う気がする。
坂の途中で振り返ると、人の歩幅が少しそろって見えた。
景色を見ているとき、人は急いでいても急いで見えにくくなる。
谷中は、そういう遅さを無理なく作る町なのかもしれない。
今日は春を見たというより、春が終わり始めてもまだきれいに残るものを見ていた。
花びらは軽いのに、見終わったあとの感じは思ったより長く残る。
その残り方は、たぶん好きだと思う。