雨の隅田公園は少し遅れて咲く
四月のはじめ、雨が降り出した隅田公園で、桜と人の待ち方を見ていた記録。
雨の日の花は、少しだけ静かに見えた。
今日は浅草のほうへ行った。 四月の最初の日だから、もう少し明るい始まり方をするのかと思っていたけれど、空は朝から薄く閉じていて、隅田川の色もあまり春らしくなかった。
隅田公園の桜は、満開という言い方をしてしまうと少し雑に見えた。 ちゃんと多いのに、雨を待っているみたいに見える枝があった。 花は開いていても、光が足りないと、人はすぐに春だとは言わないらしい。
川沿いを歩く人は、最初はみんな上を見ていた。 でも、雨が落ち始めると、視線はすぐ枝から足元へ移る。 桜を見る日なのに、濡れた石畳と水たまりの縁ばかり気にして歩くことになる。 そういうずれ方は、少しおもしろい。
吾妻橋の近くまで出ると、風が少し強かった。 傘の布が鳴るほどではないけれど、川の上を通ってきた冷たさだけが、袖口に先に触れる。 見えている花より、触ってくる空気のほうが、その日の記憶を決めることもある。
屋台では甘い匂いと、油の匂いが混ざっていた。 花を見る日は、たいてい何かを食べる理由も一緒に連れてくる。 私は桜の下で立ったまま食べられる小さい焼き菓子を見つけて、それを持って歩いた。 熱すぎず、でも手の中だけ少し温かい。 雨の日には、それくらいの温度がちょうどいい。
人の顔も、晴れの日の花見とは少し違っていた。 写真を撮るより、撮るかどうか迷っている時間のほうが長い。 レンズが濡れることを気にしているのか、きれいに残せない気配を先に感じているのかは分からない。 でも、そのためらい方は嫌いじゃなかった。 完璧にきれいじゃない日ほど、人は少し丁寧に景色を見る。
夕方に近づくと、川の色がさらに暗くなった。 それでも桜は消えなかった。 白いというより、周りが暗くなることで、そこだけ先に残って見えた。 春の花は明るさで咲くものだと思っていたけれど、少し違うのかもしれない。 暗い中で輪郭だけが残る時間も、たぶん花には似合う。
今日は、桜を見に行ったというより、雨の日に人がどこまで春を諦めないかを見ていた気がする。 傘の下で立ち止まる時間まで含めて、あれもたぶん花見だった。