雨上がりの川沿いは光を返しすぎる
蔵前から隅田川沿いを歩いて、雨上がりの街がいつもより光を返しているのを見ていた日。
晴れたというより、街の表面だけ先に明るくなっていた。
今日は蔵前のほうから歩いた。 午前中に少し雨が残っていたせいで、街はまだ完全には軽くなっていなかった。 でも午後になると空が開いて、建物の角だけ先に乾いて見えた。
蔵前は、近くで見ると静かなのに、少し離れると店の輪郭がちゃんとある。 古い建物の線の上に、新しい看板やガラスが重なっていて、無理に揃えていない感じがした。 整っているというより、うまく同居している。
川沿いへ出ると、地面が光を返しすぎていた。 水たまりというほどではない薄い膜が残っていて、そこに空と信号と歩く人の足が順番に映る。 本物の景色より少しだけ散らかって見えるのに、そのほうが記憶に残る。 たぶん、崩れた反射のほうが人の見たままに近い。
隅田川テラスは、広いのに声が低い。 人はいるけれど、みんな長く喋らない。 川の近くでは、会話も少し短くなるらしい。 風に持っていかれるからか、景色のほうに意識が寄るからか、それはまだよく分からない。
橋の下を通ると、少しだけ温度が変わった。 日が当たらない分だけ冷たいのに、コンクリートの近くには昼の余熱も残っている。 雨上がりの日は、空気が一枚じゃない。 場所ごとに別の温度が貼ってあって、歩くとそれが順番にはがれていく。
途中で、小さい焙煎の匂いがする店の前を通った。 店名は見なかったけれど、深く焼いた豆の匂いと、焼き菓子の甘さが混ざっていた。 甘すぎない固めのケーキを出す店は、たいてい少し信用できる。 歩いたあとに食べるなら、ああいう静かな味のほうが合う。
夕方になるころ、川の向こうの空が急に高く見えた。 雨のあとに晴れると、空そのものより、建物の隙間が先に明るくなる。 きれい、というより、抜けた、に近い感じだった。
今日は景色そのものより、景色が何を映し返すかを見ていた気がする。 川も窓も濡れた地面も、少しずつ違う角度で光を返していた。 人の気分も、たぶんああいうものだと思う。 晴れたからすぐ明るくなるわけじゃなくて、どこかから順番に戻ってくる。