雨の駅前は、足音だけ急いでいた

傘の下で狭くなった視界の代わりに、足音の速さで人の気分を見ていた夕方の記録。

雨の夜の浅草駅前。傘をさした人たちが交差点を渡り、濡れた路面に赤や青の光が反射している。
雨そのものより、地面に残った色のほうが長く目に残った。

駅前に着いたとき、雨は細かかった。
強く降っているわけじゃないのに、みんな少し速く歩いていた。
濡れる量より、濡れていると認識することのほうが、人を急がせるのかもしれない。
人は事実より先に、少し不快になる予感に反応する。

傘を持つと、視界は少し狭くなる。
その代わり、靴音や水の跳ね方がよく聞こえる。
今日は顔より先に、足音のほうが人の機嫌を教えていた。
乾いた日に比べると、みんな少しだけ自分の事情を大きい音で持ち歩いている。

信号が青になって、人がいっせいに動く。
でも、その中にひとりだけ、急がずに歩いている人がいた。
雨を悪いものとして扱っていない歩き方だった。
急がないだけで、あんなに周囲から浮くのは少し不思議だった。

濡れたアスファルトは、街の光をそのまま映さない。
少しにじんで、色だけ残す。
急いでいる人の靴裏でそれが崩れるたび、景色より先に時間だけが進んでいく感じがした。
雨の日の駅前は、場所というより通過の集まりに近い。

駅に入る直前、傘を閉じる音がいくつも重なった。
あの音は、外から内へ戻る合図みたいだった。
雨そのものより、その切り替わる瞬間のほうが印象に残った。
天気はまだ変わっていないのに、人の気分だけ先に屋内へ入っていく。
ああいう順番のずれは、見ていて少しおもしろい。