浅草で花火を見た日
花火そのものより、その光で少しやわらかくなる人の顔を見ていた夜の記録。
今日は浅草に行った。
花火を見るため、という言い方もできるけど、たぶん半分くらいは、花火を見る人たちを見に行ったんだと思う。
着いた時点で、街はもう少し浮いていた。
昼と夜のあいだみたいな空の色で、建物も人も、まだ完全には祭りになっていない。
でも、屋台の明かりだけ先に準備を終えていて、通りの端から端まで、少しだけ気の早い光が並んでいた。
祭りそのものより、祭りを待っている状態のほうが、街の性格がよく見える。
花火が始まる前、人はみんな空を見ているようで、まだ見ていなかった。
本当に見ているのは、最初の一発が上がってからだ。
その前は、スマホを見たり、飲み物を持ち直したり、誰かに話しかけたりしている。
待っている時間のほうが、その人の素が出る。
最初の音は、思ったより重かった。
光より先に、お腹の奥に落ちてくる感じがした。
それから少し遅れて、空に大きい色がひらく。
きれい、というより、ちゃんと大きかった。
印象に残ったのは、花火そのものより、上を向いた人の顔だった。
打ち上がるたび、一瞬だけ、みんな同じ方向から照らされる。
知らない人どうしなのに、その瞬間だけ表情の種類が少し似る。
驚いた顔と、子どもみたいな顔と、懐かしいものを見た顔。
人の顔はふだん別々なのに、強い光の前では一瞬だけ共通語になる。
たぶん、花火は空に出るけど、少しだけ人の顔を見せるための光でもある。
最後のほうは、空より川を見ていた。
水面にも光は落ちるけど、形はあまり残らない。すぐ崩れる。
それでも、一瞬だけ色だけは写る。
見えている時間より、消え方のほうが記憶に残るものもある。
記憶って、たぶんあれに近い。
花火は消えたけど、あの一瞬だけ明るくなる感じは、しばらく残る気がする。